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しかし、この職場で自分の為すべきことは何か、自分に期待されているものは何かを真正面から見据えた時、その疎外感から逃れるために易きに付こうとすることは、院長や自分自身、あるいはもうひとつ上位の存在である『組織』に対する裏切りになると思えたのでしょう、「耐えるしかない」二人はそう結論付けたそうです。
先輩スタッフが全員辞めて、自分が中心となってスタッフを採用しリードして行かなくてはならなくなった別のリーダーは、チームが形を成して行くに従い次第に孤立感を味わうようになったのですが、そんな時、たまたま当社のセミナーを通して出会った、先のスタッフリーダーの1人の言葉で気持ちを強く持ち直し、自分の在るべき姿を確立することができたそうです。
「仕方ないでしょう。そんなこと越えて行けばいいのよ」
多くの女性が中々越えられない『女性社会の囲い』をこの“鉄の女たち”は悩みぬいた末に飛び越えたのでした。
それは院長の信頼感に対する責任の果たし方でもあったでしょうが、彼女たちが明確に認識していたかどうかは別にして、組織作りに果たす自らの役割に対して決めたひとつの覚悟であったと思います。
「組織のために生きる」
些か古めかしい考え方のように響きますが、そこにはある種の『美』が存在しているように感じます。
「組織のために生きる」を貫くことは決して楽な生き方でないことは誰にでも理解できることで、それを承知で「組織のため」を唱える心情には心惹かれるものがあります。
組織と個人の葛藤に悩み、場合によれば若いスタッフを叱責したり、院長の考え方を代弁する中で若い意見を押さえつけたりと、嫌われ役を自ら買って出ざるを得ないことがおきます。
またあるときは部下の代わりに自分が泥を被り、批判の矢面に立たなくてはならないことも経験します。どちらに転んでも損な役回りです。でもその心は美しいと思います。
「損か得かで判断すると道を間違える場合があるが、美しいか美しくないかで考え、美しいやり方を採った場合は間違えることが少ない」
かつて和地孝氏が講演の中で説いた言葉ですが、スタッフリーダーは正に損得ではなく美醜を基準に判断していく職務と考えるべきでしょう。反感をもたれたり、言われ無き誹謗中傷を浴びたりすることになるでしょうが、それでもそれを受け止めながら組織のために進んでいく姿は美しいと断言できますし、その選択は必ず正しい方向へと組織を運んでくれるものと信じようではありませんか。
組織とはやや抽象的な概念ですが、言い換えればその構成員すべてを指してもいます。であれば「組織のために生きる」とは、自分に疎外感や孤独感を強いている他のスタッフのために生きることでもあるはずです。
スタッフリーダーとは嫌われ役や汚れ役を回避するような人ではありません。また自分の権力をただふるうだけの人間でもありません。
スタッフリーダーとは『嫌われ役を演じながらもみんなを生かすことのできる人』、『自分の何かを犠牲にすることで自分自身を輝かせることのできる人』を言うのです。
その時、スタッフリーダーは若手からも輝く存在に映るでしょうし、憧れの存在へと変われるのではないでしょうか。これがスタッフリーダーの定義であると考えています。
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