|

松山城は市内を見下ろす小高い山の上に建っていますが、城山の麓にある萬翠荘(旧松山藩主久松家第15代当主久松定謨が建てた別荘)の右手に新しく『坂の上の雲ミュージアム』ができました。テレビ放映に先駆けて訪れてきましたが、正岡子規や秋山兄弟の単なる遺品展示ではなく、司馬遼太郎が伝えようとした『明治という時代が放っていた“青春の息吹”』をいろいろな形で伝えており『坂の上の雲』の主人公は正に『明治という時代』であることを改めて意識させてくれます。
その中で特に感銘を受けたのは、教育にかける政府と国民の熱意です。驚くべきことに明治の末には全国に現在とほぼ同数の小学校が建てられ、就学率は男女とも98%に達したことが館内のビデオ映像で紹介されていました。
義務教育化すると共に授業料を無料化するなどの政策が功を奏した面もあったようですが、教育に対して向ける国民の思いの熱さとが重なった結果でもありました。何と小学校の建設費の多くはそれぞれの住民たちの寄付によって賄われたというのです。現代の豊かな生活とは雲泥の差があったであろう当時の人たちの苦しい生活を思ったとき、本当に胸が熱くなりました。国づくりとはこういうことをいうに違いない。
義務教育だから給食費は払わないとごねる現代の親、自分の子供を学芸会で主役にしろと迫る現代の親、自分の懐は痛めずに権利ばかり主張する現代の親、わが国は滅びへの坂道を転がり落ちて行くのではないかと感じてしまいます。
勿論当時は普通選挙は採られておらず、民主主義とは程遠い社会制度でした。それでも国民は、教育こそ国の根幹をなす重大事業であると自覚し、私財を投じて国に奉じるという心意気を示したのです。
「忠君愛国や軍国主義思想を教育した明治の学校制度には問題がある」そんな一面的な批判ばかりを繰り返しているうちに、どうにもならないほど学校教育の現場は荒廃してしまい、教育の重大さが再び叫ばれるようになったのではないでしょうか。
今ようやく空気が変化し始めたように思います。社会の空気の変化は歯科医院経営とも無縁ではありません。どっしり構えて独自のスタイルを確立し、そのスタイルに必要な設備投資を積極化し、優秀なスタッフを揃えることです。
治すだけの歯科医院が求められた時代ではなく、生涯に亘って付き合っていこうという時代です。「軽い歯科医院はお呼びではなくなる」そんな空気の変化が歯科界を取り巻き始めたのではないかと思っています。
| |